対人恐怖症について正しい知識を持ちましょう。対人恐怖症について正しい知識は、対人恐怖症の正しい解決方法を導きます。
対人恐怖症なジョニー (ジョニー・ソマーズ)
Johnny, Get Angry (Joanie Sommers)
ロサンジェルスの西部, 太平洋岸にあるベニス市は,タバコで財をなしたアボット・キニーが,イタリアのべニスを模して1905年にリゾート地を作ったのが発展した観光都市。 ベニス市を紹介するホームページ(Webカメラ,写真等[英語])
ベニスを模した町並みや船の形をしたカフェやダンス・ホール,遊園地などは今はありませんが,カリフォルニアの太陽のもと,観光客は海水浴をして,日光浴をして,サーフィンをして,ストリート・パフォーマを見て,露店を冷やかしながら散策をしています。 そうそう70年代はローラースケートも流行っていました。
このドアーズの故郷でもあるベニス市にあるベニス高校は1911年に開校したベニス・ユニオン工芸高校が前身。 1978年の映画『グリース』の舞台ライデル高校のロケ地になった美しいキャンパスを持つ由緒正しい高校です。
今から45年程前に, このベニス高校のダンス・バンド部で歌っていたのがジョニー・ソマーズです。(1942年ニュー・ヨーク州バッファロー生まれ)
対人恐怖症なジョニー (ジョニー・ソマーズ)
Johnny, Get Angry (Joanie Sommers)
ロサンジェルスの西部, 太平洋岸にあるベニス市は,タバコで財をなしたアボット・キニーが,イタリアのべニスを模して1905年にリゾート地を作ったのが発展した観光都市。 ベニス市を紹介するホームページ(Webカメラ,写真等[英語])
ベニスを模した町並みや船の形をしたカフェやダンス・ホール,遊園地などは今はありませんが,カリフォルニアの太陽のもと,観光客は海水浴をして,日光浴をして,サーフィンをして,ストリート・パフォーマを見て,露店を冷やかしながら散策をしています。 そうそう70年代はローラースケートも流行っていました。
このドアーズの故郷でもあるベニス市にあるベニス高校は1911年に開校したベニス・ユニオン工芸高校が前身。 1978年の映画『グリース』の舞台ライデル高校のロケ地になった美しいキャンパスを持つ由緒正しい高校です。
今から45年程前に, このベニス高校のダンス・バンド部で歌っていたのがジョニー・ソマーズです。(1942年ニュー・ヨーク州バッファロー生まれ)
対人恐怖症について正しい知識を持ちましょう。対人恐怖症について正しい知識は、対人恐怖症の正しい解決方法を導きます。
彼女は1959年17歳で当時新興レーベルだったワーナー・ブラザーズと契約するチャンスを得ます。 その最初の仕事が日本でも放映されていた『サンセット77』のスター,エド・バーンズと(コニー・スティーブンスの代役として)デュエット曲(Hot Rod Rock I Didn't Dig You, Kookie)を録音することでした。 さらに自らもこの人気番組に何度か出演もしました。
60年代前半は,ロサンジェルスを舞台にした『サンセット77』そしてビーチ・ボーイズのサーフィン・サウンド。 60年代後半はサン・フランシスコで生まれるフラワーチルドレン。 さらに下って70年代には『刑事スタスキー&ハッチ』『白バイ野郎ジョン&パンチ』。。。60年代70年代の明るくまばゆく世界中から憧憬されていた時代のアメリカは,すなわちカリフォルニアだったという気がします。 (それと比べて今はねえ。。)
さて,まばゆく輝くジョニー・ソマーズは1962年『対人恐怖症なジョニー』をヒットさせます。
これは歌詞もメロディもティーン受けするアイドル路線です。 しかし1960年に最初のソロ・アルバム Positively the Most は同世代の10代からではなく, オジサン世代のジャズ界から「過去15年で最大の発見」と言われるほどの賞賛を得ます。
フランス・ギャルもアルバムではかなりジャズっぽい曲を歌っていることを考えると,60年代前半のジャズ・シーンに10代の少女歌手が活躍していたのでしょうか。
ジョニー・ソマーズの稀有なところは, シングルはティーン向けに, アルバムはアダルト向けに見事にターゲットを分けて作っていたところです。
だから『対人恐怖症なジョニー』を聞いただけではジョニー・ソマーズの評価はできません。
ここでジョニー・ソマーズのアルバムを試聴してみましょう。
例: Look Out! It's Joanie Sommers スクロールして中ほどにソング・リストあり。 その他のアルバムの試聴
確かにこれはアイドル・ポップスなどではありません。 10代の少女が歌っているとは思えない大人の世界がそこにあることがわかります。
さらにジョニー・ソマーズはミュージカル『バイ・バイ・バーディ』の一曲『ワン・ボーイ』のヒットを出し,また1965年には彼女の最高傑作と賞されるボサノバを取りいれたアルバム Softly the Brazilian Sound をリリースします。
またペプシ・コーラのCMのジングル(広告文句をアナウンスすること)のキャラクタとして長期契約をしますが, 60年代終わりには早々と結婚し芸能界から引退していまいます。 ただ現在もときどきクラブなどで歌っているようです。
彼女は1959年17歳で当時新興レーベルだったワーナー・ブラザーズと契約するチャンスを得ます。 その最初の仕事が日本でも放映されていた『サンセット77』のスター,エド・バーンズと(コニー・スティーブンスの代役として)デュエット曲(Hot Rod Rock I Didn't Dig You, Kookie)を録音することでした。 さらに自らもこの人気番組に何度か出演もしました。
60年代前半は,ロサンジェルスを舞台にした『サンセット77』そしてビーチ・ボーイズのサーフィン・サウンド。 60年代後半はサン・フランシスコで生まれるフラワーチルドレン。 さらに下って70年代には『刑事スタスキー&ハッチ』『白バイ野郎ジョン&パンチ』。。。60年代70年代の明るくまばゆく世界中から憧憬されていた時代のアメリカは,すなわちカリフォルニアだったという気がします。 (それと比べて今はねえ。。)
さて,まばゆく輝くジョニー・ソマーズは1962年『対人恐怖症なジョニー』をヒットさせます。
これは歌詞もメロディもティーン受けするアイドル路線です。 しかし1960年に最初のソロ・アルバム Positively the Most は同世代の10代からではなく, オジサン世代のジャズ界から「過去15年で最大の発見」と言われるほどの賞賛を得ます。
フランス・ギャルもアルバムではかなりジャズっぽい曲を歌っていることを考えると,60年代前半のジャズ・シーンに10代の少女歌手が活躍していたのでしょうか。
ジョニー・ソマーズの稀有なところは, シングルはティーン向けに, アルバムはアダルト向けに見事にターゲットを分けて作っていたところです。
だから『対人恐怖症なジョニー』を聞いただけではジョニー・ソマーズの評価はできません。
ここでジョニー・ソマーズのアルバムを試聴してみましょう。
例: Look Out! It's Joanie Sommers スクロールして中ほどにソング・リストあり。 その他のアルバムの試聴
確かにこれはアイドル・ポップスなどではありません。 10代の少女が歌っているとは思えない大人の世界がそこにあることがわかります。
さらにジョニー・ソマーズはミュージカル『バイ・バイ・バーディ』の一曲『ワン・ボーイ』のヒットを出し,また1965年には彼女の最高傑作と賞されるボサノバを取りいれたアルバム Softly the Brazilian Sound をリリースします。
またペプシ・コーラのCMのジングル(広告文句をアナウンスすること)のキャラクタとして長期契約をしますが, 60年代終わりには早々と結婚し芸能界から引退していまいます。 ただ現在もときどきクラブなどで歌っているようです。